Shisha、Hookah、Nargileh、Argileh、Qalyan、Mada’a、Chillim、Lula、Jajeer、Hubbly Bubbly…
シーシャには非常にたくさんの呼び名があります。しかし、どの名前で呼んでも変わらないことは、
煙が充満した部屋、友人との心地よい夜での片手にあるもの、熟考する朝方、夜明け。それらのシーシャが作り出す空間、時間です。
シーシャの歴史は約500年前にさかのぼり、シーシャがみてきたのは、シーシャという”文化”が近東および中東のほぼすべての地域の文化に浸透する様子です。
最近では、西洋だけでなく、世界中の国の人がシーシャを文化として、娯楽としてそれぞれの国に取り入れ始めています。
シーシャが今までの歴史を語るように、世界中の都市に魅力的で魅惑的な香りを広めています。
シーシャが作り出す空間は、さらに何かを生み出す空間であると言える。
シーシャが作り出す時間は、さらに何かを生み出す時間であると言える。
つまり、シーシャは何かを作り出す”そのもの”自体を作っていると言える。
私は、非常に強く上記のことを感じます。
実際に私がシーシャのシーンを作り出すのは、
「何かに悩んでいる時」
「誰かと将来のことについて深く語り合いたい時」
「何かを生み出した時に、熟考したい時」
そういった時です。何かを深く考えたい時には、ひとりになる、静かな空間で集中できる場所に行く。ということがベストだということは誰でも気がついているはずです。
ただ、都会の喧騒の中では、どうしても、例えば、都会の喧騒を忘れられる山や海へ行ってゆっくりする時間を取ることはむずかしい。
そういった時に、都会の喧騒を忘れられる一時を作り出すのが、シーシャだと思います。
暗い部屋でシーシャをふかし、煙で部屋が白くなる。そういった環境の中で、シーシャが歩んできた歴史、これまでにみてきた歴史に想いを馳せながら、自分の世界を少しずつ創る。
完成した自分の世界の中で、考えたかったことを考える。作り出したいものに着手する。
同じように、ひとりでなくても、共に共通の世界観を作り出す仲間と、同じ手順を踏んで都会の喧騒とは一線を引いて、世界を都会の中に創り出す。
それを可能にし、新たなもの、新たな答えを創り出すツールがシーシャだと思います。
過去500年前にシーシャが外交のコミュニケーションツールとして使われていたのにも納得ができます。
互いに、互いしか存在しない世界を煙を介して実現し、その中でお互い心のうちをさらけ出して話し合う。
シーシャはただの嗜好品ではない。シーシャは文化。シーシャは新たなものを創造するツール。